2013年

12月

26日

*Esquisse_vol.6

 

【椅子の試作が出来ました!】

 

 

ATELIER INAのご主人、稲葉治さんの多大なご協力により、

当日舞台で使用する椅子の試作が出来てきました!

 

… 写真では一見分かりにくいですが、

小学校3年生くらいに丁度良い

小さな椅子です。

 

大人が座ったら、

おそらくちょっと、不思議な感じ。

 

でも、その「違和感」に

記憶のちょっとくすぐったいところを

ツンツンされる…

そんな身体感覚が浮かび上がると思うのです。

 

 

私からの

「ちっちゃい椅子が欲しいんです… 」

「昔の小学校のイメージなんです…」

などという、

大変曖昧なイメージを汲み取って、

デザイン画を起こしてくださったのはタナカアリフミさん。

 

稲葉さんとタナカさん。

お2人には二度と足を向けて寝られません。

ありがとうございます!

 

 

この後、使い込んだ雰囲気に近づけていくために、

木目を生かしつつ、ダークカラーの塗装をして頂く予定。

年末には頂けるとのことで、

大変楽しみです。

 

 

 

――それにしても、

人と人とが[身体感覚]を通して分かり合える事柄の多さと深さに

改めて感動する今日この頃…

 

何十年振りかに訪れた小学校で、

椅子に座ってみた、あの感じ。

 

なんて… そんなものは楽譜には書けませんが、

話してみると、必ず通じる。

 

 

…だから、余計にもどかしい!

<身体>と<記号>を繋ぐ方法はどこにあるんだろう?

それは<言葉>しか無いのだろうか。

 

しかし<言葉>さえ、確かに身体感覚と結びついてくれる訳では無い。

いっそのこと、何も書かない方が遥かにマシなことも多々ある。

「行間を読む」という<言葉>さえあるでは無いか…

 

 

などと、

白紙を前に、いつも、悶々としている。

 

<高山>

 

 

0 コメント

2013年

12月

17日

*Esquisse_vol.5

 

池上英樹さんがやってきた!

 

お住まいのある関東から、6時間近くかけて来て下さった池上さんは

マリンバを積んだ大きな車から降りて、

「寒いですねぇ・・・!」と仰った。

 

実際、三ケ峯は寒いのだ。

「芸大通り」駅から大学に至る道は、ただ、ひたすらに、上り。

およそ頂上にある愛知県芸に着く頃には、

外気温は街中に比べ、3度は下がる…などと噂されている。

 

だから、とにかくすぐハーブティー。

 

...それを片手に、作品の内容について確認しているうちに、

いつの間にか音楽と身体についての話になった。

 

池上さんが、シアター的なコンサートをご自身で構成し(時には作曲も)、

演奏されていることは、良く知られている。

更に最近は楽器演奏だけにとどまらず、

ダンス(フラメンコ)にも情熱を注いでいらっしゃるようだ。

 

――何故、そうするのか?

 (或いは、そうせざるを得ないのか?)

 

「マリンバは最も“身体”から遠い楽器なんですよ」

という言葉にハッとした。

 

ike 「直接手で音を鳴らすんじゃなくてマレットを持つでしょ」

taka「… 音板もピアノに比べ随分幅が広いですよね」

ike 「そうそう。ピアノはまだ、身体と繋がっていますよね」

taka「確かに…人間工学に基づいている…かもしれない…」

 

池上さんは、<楽器>と<身体>との距離を

観客に“見せる”ことを通じて近づけてゆこうと試みてらっしゃるように感じた 。

 

本番後のアフタートークへのご参加依頼も、快く了承して下さり、

ますます当日が楽しみに。

 

トークのテーマはおそらく、

『何故、音楽を“見せる”のか?』

というところだろうか。

 

視野の開かれるトークセッションになること、請け合い!

どうぞご期待下さい。

 

 

… で、この後、本番の会場に下見に行ったり、

リハーサルをしたりした訳ですが、

詳細に至る前に字数が尽きました。

 

ひとまずvol.5はここで終了…

 

 

<高山>

 

 

 

0 コメント

2013年

12月

04日

*Esquisse_vol.4

 

借景(Syakkei)

 

造園技法の一つ。

庭園外の山や樹木などの風景を、庭を形成する背景として取り入れたもの。

京都修学院離宮庭園などが知られる。

.................................................................................................

 

 

【音楽における多層】ということを、よく考える。

 

かつて西洋音楽は、演奏の場の整備と共に、

それが純粋に「聴覚」のみによって捉えられることを<洗練>だとして発展してきた。

音楽の周りに本来あったはずの環境は切り離され、

レコードの登場と共に、遂にそれは“耳の喜び”の為に売りに出された。

 

勿論、音の世界の中には、それだけで圧倒される程の宇宙がある。

綿密に構成された音の連なりは、

作曲家の魂を、命を、思想を、愛を、私に届けてくれる。

苦しい程の感動に、泣いてしまうこともある。

 

だけど私は、母の子守り唄にだって泣いてしまう。

子どもの頃に温かい布団の中で聴いたそれは、

出来るだけ静かに、穏やかに時間を紡ごうとする母の配慮だったのだろうか、

最初の旋律を低い声ではじめ過ぎて、いつも、

「・・・ちゃんは、良いこだ・・ねんねしな・・・」の箇所の音程が狂っていた、、、

でも、それが何だろう。

 

私は、ドアの隙間から漏れる灯りと、母の途切れ途切れの唄を、忘れない。

 

微睡む瞬間に、鼓膜が波の音に気付く。

ドアの向こうで、父が仕事をしている。

枕に押し付けた瞼から、自分の脈を感じる・・・

 

 

そして、暗転

 

 

<高山>

0 コメント

2013年

12月

01日

*Esquisse_vol.3

 

THE GARDEN of my mind

 

私の心の庭、というタイトルは

そう名付けた本人にとっても、少々、面映い。

 

今更、少女時代の我が身を振り返るのも

いささかセンチメンタリズムに過ぎる気がするし―――

 

だから、今回の舞台をどうしてこんなテーマにしてしまったのかは

正直自分でもよく判らない。

けれど多分、過去に向かい合うべき時期だと言うことなのかもしれない。

 

私にとってのミュージック・シアターの原点が

どうやら自分が小さい頃過ごしたピアノの部屋にあるらしい、ということは

これまでも、うっすらとした感触としてあった。

 

随分ネクラで自意識過剰な少女時代であった訳だが

あの部屋に閉じこもりながら感じていた、外の世界の音や

座る私の膝頭にカーテン越しに差し込んで来た光の記憶が

今、私が私であるためのアイデンティティを支えてくれているのだと

作品の制作と向かい合う日々の中でより深く、強く感じている。

 

舞台は、動き出した。

私がかつて出会える筈も無いと思っていた、

素晴らしい仲間を得て。

 

 

私は「私」を、何処まで連れて行ってあげられるだろう。

 

<高山>

 
0 コメント

2013年

11月

29日

*Esquisse_vol.2



Prologueの振付をはじめる。

作者=高山さんの構想を基に
声楽家への振付案を実施する。


いつもの直線的で鉱物的な
サイレンスダンス色を抑え気味にして、
今回は、ファニーでドリーミーなニュアンスを
添えていこうとおもっている・・。
作中、もっともダンサブルなシーンになりそうだが、

約60分ほどの練習で、覚えていただいた。
優秀である!

さらに難易度をたかくしたいところをぐっと我慢して

今後は、動きの精度を高めていくことにする。

いつもながらだが、
高山さんの紡ぐ音楽は、先端表現でありながら
情感に訴えかけるリリシズムが漂う。

感心しきり・・。

<タナカ>

0 コメント